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名古屋高等裁判所 昭和59年(う)176号 判決 1988年3月11日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大脇保彦、同大池龍夫、同大池崇彦、同大池輝彦、同飯田泰啓連名の控訴趣意書および同大脇保彦名義の控訴趣意訂正申立書(なお、当審第一回公判期日における主任弁護人大脇保彦の釈明参照)に、これに対する答弁は、検察官平田定男名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

第一控訴趣意書第一段の一・三・四および第二段ないし九段(原判示第一ないし第三の各事実に関する事実誤認の論旨)について

所論の骨子は、原判示第一ないし第三の各事実に関し、被告人は右各罪を実行したことは勿論のこと、Nをはじめとする原判示各共犯者らと共謀したこともなく、被告人は無罪であるのに、被告人の所為を殺人予備罪、殺人未遂罪、殺人罪、詐欺罪に問擬した原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌しつつ、以下において、所論指摘の主要な点について検討する。

一Nの供述の信用性

(一)  所論は、原判示第一ないし第三の各事実(以下、原判示第一の事実を「K殺害予備事件」、同第二の事実を「I殺害未遂事件」、同第三の事実を「O殺害事件」という)に関し、被告人を有罪とする証拠は原審証人Nの原審公判廷における供述(以下、単に「Nの原審供述」という)のみであるが、Nの原審供述は自己の刑責を軽減し無実の被告人を首謀者に仕立てあげるべくなされたものであつて、矛盾に満ち到底信用できないものであるとし、詳細かつ多岐にわたりるる主張するが、その主要点の要旨とこれに対する判断は、次のとおりである。

1 I殺害未遂事件の謀議成立時におけるNの使用車種について

所論の要旨は、原判決によれば、昭和五一年四月中旬ころNと被告人との間において本件保険金殺人の基本的謀議がなされ、原判示第一のK殺害予備の段階で被害者であるK(以下、「K」という)に感付かれて実行不可能になるや、K殺害を断念し、原判示第二の比良新橋(以下、「比良新橋」という)において原判示にかかるI殺害の共謀をなし、実行に及んだが未遂にとどまるや、更に原判示第三のO殺害を謀りその目的を遂げたというのであつて、本件の各共謀は密接不可分の関連を持ち、右一連の犯行が順次発展的に遂行されたというのであるから、その一つが成立しないとすればその余の共謀もまた成立しないという関係にあるところ、Nの原審供述によれば、I殺害未遂事件の共謀は比良新橋付近においてNの外国製車両「シボレーモンテカルロ」と被告人運転の国産車を並んで停車させ、両名が相謀つたというのであり、しかも相互の運転席の距離関係等を含めて詳細かつ具体的に供述しているが、Nの「シボレーモンテカルロ」の入手時期は昭和五一年九月一六日であつて、Nの原審供述のいう同月一〇日過ぎころには、Nは未だ「シボレーモンテカルロ」を入手していなかつたことが明らかであるから、この点に関する原判決の認定判示に沿うNの原審供述は全くの虚構の上に立つものであり、I殺害未遂事件の謀議が成立し得ないことは明白であり、このI殺害未遂事件の謀議不成立により、被告人とNの本件各謀議は全ての根幹を失うものとなり、原判決の事実認定に誤りのあることは一点の疑いを容れる余地もない、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Nは証人として出廷した原審第五五回および第五八回公判期日において、I殺害未遂事件の被告人との謀議内容について原判決がその(補足説明)の頂において要約摘示するとおりの供述をしたが、その際に謀議の具体的状況につき、Nは「シボレーモンテカルロ」を運転していたとし、これを前提とする供述をしているところ、関係各証拠(当審において取り調べたものを含む)によると、右にいう「シボレーモンテカルロ」が普通乗用自動車(登録番号岐三三に四七―四六号。以下、「モンテカルロ」という)を指称することが明らかであるが、Nは右車両を昭和五一年八月末日ころに日通商事株式会社から買受け、同年九月一四日にその登録手続を了し、同月一六日に右車両の引渡しを受けたものであることが認められ、右認定事実に徴すると、Nが被告人とI殺害未遂事件の謀議を遂げたという同月一〇日過ぎころには未だ「モンテカルロ」の引渡しを受けておらず、これを使用することが出来なかつたことが明らかであるから、Nの原審供述のうちI殺害未遂事件の謀議状況に関する供述部分には、所論指摘のとおり、客観的事実に反する部分が含まれていることが明らかである。

しかしながら、他方、前掲関係各証拠によれば、Nは右「モンテカルロ」の引渡しを受けるまでは国産車ではあるがいわゆる大型高級車である「トヨペットクラウンスーパーサルーン」(登録番号名古屋五七な六〇―二二号。以下、単に「クラウン」という)を所有しこれを使用していたことが認められるとともに、右謀議があつたとされる時から約一年を経過したにとどまる時点においては、Nは捜査官に対し「モンテカルロ」を購入したのは昭和五一年九月一四日である旨述べるとともに、その供述するI殺害未遂事件の謀議当時自己の乗つていた車両は右「クラウン」であつた旨述べていたことが認められ、これらの事情にNの当審第四回公判期日における供述をも併せ考え、更には、本件全証拠を仔細に検討しても、Nが何らかの作為的意図をもつてあえて右両車種を違えて供述したことを窺わせるに足りる事情はなんら見出し得ないこと(「クラウン」を「モンテカルロ」にすり替えることによつて、所論のいうように、Nが被告人を首謀者に仕立てあげ、自己の刑責を減軽し得るものとはもとより考えられない。)等をも総合考察すると、右謀議があつたとされる時から約六年半もの期間を経過した時点で証言を求められたNは、比良新橋付近における共謀の時期と「クラウン」から「モンテカルロ」への乗り替えの時期とが相接していたことに加えて、尋問にあたつた検察官から右共謀当時の使用車種について、不用意に「証人はその時外車でしたね。」と確認を求められたため、比良新橋付近における共謀の際の実際の使用車種である「クラウン」を「モンテカルロ」と取り違え、その後、尋問にあたつた検察官からもその車種の誤りについて質され、あるいは指摘されることもなかつたことから、誤つた前提に立つたまま右の謀議の際のNと被告人との位置・距離関係等を供述したにすぎないものと認めるのが相当であつて、Nの原審供述中I殺害未遂事件に関する比良新橋付近における共謀の際のNの使用車種およびこれを前提とする謀議時の具体的状況等に関する部分には、所論指摘のような事実に反する部分が含まれているものの、右のとおり、その誤りが年月の経過等に伴う単なる記憶違いないし記憶の混乱に起因するにすぎないものである以上、この一事をもつて、所論のごとく直ちにNの原審供述の全てを措信し得ないものとして排斥することができないことは勿論であるのみならず、Nの原審供述は、右共謀時の具体的状況のうち、Nと被告人が比良新橋付近において並んで停車させた各自の車両の運転席に着席したままの状態で謀議を遂げたとの最も特徴的で基本的な部分においては終始首尾一貫していて、その限度においては、不自然・不合理な変転はなんら見出されないこと等を考慮すると、Nの原審供述中のI殺害未遂事件の被告人との共謀に関する部分については、所論にもかかわらず、十分信用に価するものが含まれているものと言わなければならない。

2 NがKを原判示日建土木株式会社へ転居させた理由について

所論は、要するに、NはKを原判示日建土木株式会社(以下、「日建土木」という)へ転居させた理由について、Nの自宅(岐阜市<以下省略>地所在)の敷地は「初めは八〇坪ぐらいあつたんですけれども、そこが三分の一ぐらいに土地を明渡してしまつたので、小さくなつて、私もKさんがおることは困つておつたし」近所からの苦情もあつたので、Kが日建土木の代表取締役になるのはいわば渡りに舟という気持で日建土木に連れてきた旨述べるところ、Kが日建土木に来たのは昭和五一年四月であり、Nがその自宅の敷地八八坪余りを分筆したのは昭和五一年一一月一四日のことであり、この分筆に基づいて従前の約三分の二である五五坪余りを永井邦夫に明け渡したのは昭和五三年三月二七日であるから、Kを日建土木に連れて来なければならない理由とは全く結びつかず、その供述が虚偽であることは明らかであるが、NはKを日建土木の代表取締役に篏込み本件保険金殺人を企図して被告人の意図に反してKの身柄までも連れてきたことを隠蔽せんがため、事実をすり替えてあえてかかる虚偽の供述をしたものであつて、これはNの原審供述が自己の刑責を不当に軽減せんがため被告人を本件に巻き込まんとする意図の下になされたことを如実に示すものであり、右の意図の下になされたNの原審供述が信用性を欠くことは明白である、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Nが原審第一六回公判期日において従前からN宅の敷地の一部として占有使用していた732.28平方メートル(約221.5坪)の土地に居住せしめていたKを日建土木事務所裏の建物に転居せしめた理由として所論指摘のとおり供述していることおよびKの右転居の時期が昭和五一年四月であること並びにNが占有使用していた土地等を巡る所有者との紛争が昭和四九年九月三日訴訟上の和解により解決し、右和解の一環としてNが占有していた土地のうち439.40平方メートルを他に明渡した結果残余が292.88平方メートル(約88.6坪)に減少し、更に右残余の土地のうち184.83平方メートルを昭和五三年三月七日に永井邦夫に売却していることが認められ、右認定の事実に徴すると、所論指摘のとおり、Nの原審第一六回公判期日における前示の供述中には客観的事実に反する部分が含まれていることが明らかである。

所論は、Nが被告人を巻き込み自己の刑責を軽減せんとして事実をすり替えて虚偽の供述をしたものである旨主張するが、Kが日建土木事務所裏の建物に転居した時期とNが叙上のとおり前記永井に土地を売却した時期との間には約二年の隔たりがあるのみならず、Nは昭和五二年七月二一日に本件I殺害未遂事件により逮捕されていて、右土地売却時にはその身柄を拘束されていたことが記録上明らかであるから、かかる明白な事実に抵触し不合理であることが歴然としている所論の主張するような事実のすり替えが成功する可能性は殆どなきに等しいことは余りにも見易いところであり、仮にNに所論のような意図があつたとするならば、Nがあえてこのような稚拙というほかない方策をとるものとは到底考え難いところ、叙上認定のNの占有使用していた土地の面積の変動の経緯にNの当審における供述等を併せ考慮すると、原審第一六回公判期日におけるNの前掲供述は「(昭和四九年九月には)使用していた土地が約三分の一に縮小し、約八〇坪になつた」旨を述べようとしたのを表現を誤つて前示のごとく供述してしまつたにすぎないものと認めるのが相当であつて、所論のような意図を隠蔽すべくNがあえて虚偽の供述をしたものとは認められない。

そうすると、所論指摘の点は単なる表現上の誤りにすぎず、しかもKが日建土木事務所裏の建物に転居した昭和五一年四月の時点ではN方の敷地が従前の約三分の一に減少したとする点は客観的な事実と符合するものと認められ、Nの前示供述が虚構の事実の上に立つものではないことが明らかであるので、所論指摘の点をもつてしても、Nの原審供述中のK殺害予備等本件各謀議に関する供述部分の信用性を左右する余地はないものというべきである。

3 Nの原審供述の矛盾について

所論は、要するに、Nは原審第一六ないし第一九回公判期日(以下、これを「前半供述」という)および第五五ないし第六〇回公判期日(以下、これを「後半供述」という)においてそれぞれ供述しているところ、本件発生時より遙かに時間が経過しているにもかかわらず後半供述の方が前半供述よりも異常ともいうべき詳細さをもつて供述されているが、この顕著な差異は検察官の過剰な事前面接に由来するとともに、後半供述には、Nによれば本件一連の犯行の嚆矢であることになる原判示曙コーポ前駐車場謀議の際に殺害対象者としてKの名前が挙がつていたか否かという謀議の基本的要素というべき点についてすら前半供述と矛盾する部分があり、かかる不自然極まりない供述の変転は、NのK殺害予備等本件謀議に関する供述の全てが虚構の産物であることを如実に物語るものである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Nの前半供述と後半供述とを比較対照すると、後半供述の方が前半供述に比してより具体的かつ詳細にわたつている部分のあることは所論指摘のとおりであるが、この点につき原判決がその(補足説明)の項四の2の(二)において説示するところは正当としてこれを首肯することができるところ、更に所論指摘の原判示曙コーポ前駐車場におけるNと被告人との謀議に関するNの供述するところを仔細に検討するに、右の謀議の際に殺害の具体的対象者としてKの名が被告人から挙げられたか否かの点については、Nの供述するところは必ずしも一貫せず、一方では「殺害の対象者としてKの名が挙がつていた」旨述べる(原審第一六回、第五六回、第六〇回各公判期日)とともに、他方では「はつきりとした記憶はないが、自分としてはKを殺害対象とする話だと思つた」旨供述しているが(原審第一七回、第五五回各公判期日)、右各供述全体をその尋問方法とも対照させつつ虚心坦懐に理解するならば、前者と後者の供述との間に所論がいうような決定的な矛盾があるとまではいい得ないのみならず、却つて、Nとしては被告人の右謀議時の話はKを念頭において理解したとする点においては前後首尾一貫しているばかりか、更に右謀議時の具体的状況や内容の主要な点については、「昭和五一年四月中旬ころにNが被告人らと飲酒した後被告人運転の自動車で原判示曙コーポまで送つてもらつた際に、右コーポ前の駐車場に停車した自動車内において、被告人からNに対し融資の依頼があり、Nが一旦これを断わるや、被告人は原判示吉祥殿に関わる保険金取得の件を暗示しつつ原判示の大型保険を利用した保険金殺人の話を持ち出してきたが、Nは原判示Mに被告人の言うような保険があるかどうか聞いてみる旨曖昧な返事をしてその場は別れた。」旨前半供述と後半供述とを問わず前後首尾一貫して供述しており、その間に特に看過し難いような矛盾や不自然不合理な供述の食い違い等は見出し得ず、所論のいうがごとくNが虚構の事実を反復して供述しているものとは到底解し難いのみならず、更にMの原審第一〇回公判期日における供述によれば、現にNはMに対し被告人から聞いたという大型保険の存否などについて尋ねその存在を確認しているというのであるから、Nの前示にかかる供述中の軽視し難い部分がMの右供述によつて裏付けられ、その真実性が担保されているものと認められるのであつて、これらの諸点を総合して考察すれば、結局のところ、Nの原審供述のうち原判示曙コーポ前駐車場における謀議に関する供述部分は、右の謀議時に被告人から殺害対象者としてKの名が挙がつたか否かの点は別として(なお、Nの右供述は、原判示曙コーポ前駐車場において被告人との間でKを殺害対象とする具体的謀議が成立したとまで述べるものではなく、本件一連の事件へと発展する端諸となつた提案が被告人からあつた、とするにとどまることが明らかであるから、右謀議の時点においてKの名が挙がつたか否かは、その供述の最も核心的で不可欠な基本的要素であるとは言い難く、この点の真否が直ちにその供述全体の信用性を決定的に左右するに至るべきものとも解し得ない。)、原判決がその信用性を肯認した限度においては(原判示(罪となるべき事実)第一の一の1参照)、十分信用に価するものということができる。

4 Nが被告人との本件各共謀を供述するに至つた理由について

所論は、要するに、Nは、本件I殺害未遂事件で逮捕されて取調を受けていた当初の段階では被告人との共謀を否認し、その後これを認めるに至つた理由について、原判決がその(補足説明)の項の四の2の(一)において要約摘示するとおり(原判決書六〇丁表六行目ないし同丁裏九行目参照)供述するが、Nが被告人との共謀を否認した理由として挙げる「やしま」における被告人との話合はその事実がなく、また「吉祥殿放火事件」に関してはNのいう関係者らの供述にはNの供述するところに沿うものは何一つなく、放火事件の存在自体が疑問であり、更に被告人との共謀を供述するに至つた理由として挙げる保険金の入手方法の点についても、Nは手形取立・不動産競売に関係していたものであつて、しかも日建土木の前身である協栄興業株式会社(以下、「協栄興業」という)が不渡手形を出した際に三五〇〇万円の架空の債権証書を作成し、日建土木所有の全動産を譲渡担保とする契約を締結していたのであるから、右債権証書を利用して取り立てることができるし、またNは日建土木の実印を相当期間預かつていたのであるから、被告人の関知しない書類を作成するなどして取り立てる手口はいくらでもあり、Nが被告人との共謀を否認し、あるいは自供するに至つた理由としては余りにも薄弱で信用し難く、従つてNの右供述は虚構のものであり、Nの原審供述が信用できないことは明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Nは昭和五一年七月二一日本件I殺害未遂事件により逮捕された以降被告人との共謀の点についてはこれを否認し続け、同年八月一三日に至つて被告人との共謀を自白したが、当初被告人との共謀を否認した理由およびその後これを自白するに至つた理由として、Nが述べるところの要点は、原判決がその(補足説明)の項の四の2の(一)において要約摘示するとおりであるところ、先ず、Nが当初否認した理由として挙げる原判示「やしま」の駐車場における被告人との話合の事実の存否についてみるに、この点につき原判決が同項の三の3中(原判決書五〇丁裏一〇行目ないし五三丁五行目)において詳細に説示する認定判断は正当として肯認することができ、とくに、Nが被告人とその供述する日時ころに右「やしま」で会つたこと自体およびNが被告人に右「やしま」で会うに至つた経緯・事情として供述するところは、被告人自身を含む他の関係者らの供述によつてその真実性が裏付けられているのみならず、Nは被告人との共謀を否認していた時点においては、被告人との関係の詳細については、捜査官の追及にもかかわらず、供述を避けようとした形跡を窺うことができ(Nの司法警察員に対する昭和五二年八月六日付各供述調書謄本参照)、加えて、被告人は捜査の当初の段階においては右「やしま」でNに会つたこと自体を否認していたものの、その後Nと右「やしま」の駐車場で会つたこと自体はこれを認めるに至つたが、Nと会つた理由や当初Nと会つたこと自体すらを否認した理由等につきなんら裏付けのない不合理で首尾一貫しない弁解を繰り返すにとどまつていること等をも併せ考慮すると、Nが捜査の初期の段階において被告人との共謀を否認した理由として供述するところは十分首肯することができ、措信するに価するものということができる。

次に、Nが被告人との共謀を否認していた理由として挙げる「吉祥殿放火事件」なるものについてみるに、原判決がその(補足説明)の項の四の1の(一)および五の1(原判決書六四丁裏二行目ないし同丁裏九行目)において説示するところは、いずれも正当として首肯することができる。

なるほど、Nが右「吉祥殿放火事件」の関係者として指摘するQは、自身がNの供述するような放火をしたことはない旨述べるとともに、MにおいてもNの言う謝礼の受取りを否定し、取得した保険金の分配の点についてもNの供述を裏付けるに足りる的確な証拠が存しないことは所論指摘のとおりであるが、他方、Qの原審第三八回公判期日における供述によれば、QはNから吉祥殿に放火するよう言われたことがあつたというのであり、またKにおいても、Nから吉祥殿放火の指示を受けてガソリンを準備したものの犯行をためらつていた旨供述している(原審第二二回公判期日)うえ、現に吉祥殿が焼失し、これに関連してNが保険金を取得していることが関係各証拠によつて明らかであつて、これらの諸事情に徴すれば、Nのいう「吉祥殿放火事件」が虚構のものであつたとは考え難く、従つて、被告人との共謀の点を自供すれば、共謀するに至つた経緯との関連において、右の「吉祥殿放火事件」までも供述せざるを得なくなることを苦慮していたというNの原審供述は十分に首肯するに足りるものと認められる。

更に、Nが被告人との共謀を認めこれを供述するに至つた理由として述べるところについてみるに、Nが捜査の初期の段階において、取調に当たつた捜査官に保険会社より日建土木に支払われた保険金のうちから自己の取得分を現実に入手する方法を追及されてその返答に窮していたことは、Nの右段階における捜査官に対する各供述調書によつてもこれを窺うことができるところ(Nの司法警察員に対する昭和五二年七月二七日付(一〇枚綴りのもの)、同年八月六日付(一六枚綴りのもの)各供述調書謄本参照)、仮にNが被告人の関与のないまま本件のごとき保険金殺人を敢行してその結果日建土木に保険金が支払われるに至つたとしても、Nが日建土木に貸し付けていた金員の返済を求める程度のことならばともかくも、Nが原判示Tに支払いを約していたという殺人実行の報酬六〇〇〇万円、あるいはこれに付加してN自身の取得分やNがOに対して有していたという約一五〇〇万円もの債権までも含めた多額の金員の支払いに被告人が容易に応ずるものとは到底考えられないばかりではなく、所論指摘の架空債権に基づく取立や日建土木の印章等を冒用して保険金を入手する方法その他種種の手段方法を取るにしても、いずれも犯罪行為もしくはそれに類するものとなるほかなく、いかにNが暴力団組織に身を置き、日建土木に少なからぬ支配力を有していたものであつたとしても、しかく容易に実行し大金の入手に成功し得るものでないことは勿論であつて、かかる自明ともいうべき理を無視ないし等閑視して本件のごとき重大な犯行をあえて敢行するに至るものとはたやすく考え難いところであるから、保険金入手の方法を追及されて否認し通すことが不可能となり、捜査官に対し被告人との共謀を供述せざるを得なくなつた旨のNの原審供述部分は、十分な合理性があり、措信するに足りるものということができる。

以上において検討した諸点を要するに、Nの原審供述中の所論指摘の供述変遷の理由に関する部分は、所論にもかかわらず、Nの被告人との間における本件K殺害予備等の各共謀の存在自体とその謀議の内容等の主要な点に関するNの原審供述の真実性を裏付け、その信用性を担保するものではあつても、その信用性に疑念を生じせしめるに足りるものではあり得ないものといわなければならない。

5 AIU振出にかかる額面一五三万円の小切手について

所論は、要するに、原判示AIU株式会社(以下、「AIU」という)がI殺害未遂事件に関連した保険金の支払いとして振出した額面一五三万円の小切手一通について、Nは右小切手は見たこともない旨供述するが、このNの供述が虚偽であることは関係各証拠に照らして明白であり、しかもI殺害未遂によつて誰がどのような方法で保険金を取得しているかは、誰が共犯者であるかを示す重要な事実であるから、この点につき明白な虚偽を含むNの原審供述はその全体が信用に価しない、というのである。

そこで検討するに、関係各証拠、とくに原審におけるMの供述(原審第一〇、一一、四〇、六一回各公判期日)およびRの供述(原審第二四回公判期日)と対比して検討すると、Nの原審供述中の所論指摘の部分がたやすく措信し得ないことは、所論が指摘し原判決もまた説示するとおりであるが、他方、原判決がその(補足説明)の項の四の1の(二)において認定説示するところは全て正当として是認し得るところ、これによれば、所論指摘のAIU振出にかかる小切手金の内の大部分である一五〇万円が結局のところ旬日を経ずして日建土木の支払い等に充当費消されていて、N個人の用途には費消されていないことが明らかであるとともに、被告人においても、捜査の段階においては、右の小切手金をも含むI殺害未遂事件に関連して保険会社から支払われた保険金合計六三〇万円の使途について詳細に説明しているのであつて、これらの事情に徴し、更に前掲Rの原審における供述を併せ考察すると、被告人は、右小切手金がNの指示に従いRによつて開設された中央相互銀行山田支店の日建土木名義の普通預金口座に振込まれたことを知悉していたものと認められ、従つて、右小切手金に関する前示のごとき措置は、被告人の了解のもとに取られたものと推認するのが相当であるから(右認定に反する被告人の原審および当審における供述は前掲関係各証拠と対比してたやすく措信できない。)、Nの原審供述中に含まれる前記の措信し得ない部分は、NがI殺害未遂事件により取得された保険金の一部の処置に関与したことを秘匿して自己の刑責の軽減を図ろうと試みあえて虚偽の供述をなしたのではないか、との疑いを差し挾む余地が残るものの、前記のとおり、Nは右小切手金を被告人に内密に領得したものではないから、その原審供述全体の信用性を否定することは、当を得ないものというべきである。

6 K供述との矛盾をいう点について

所論は、要するに、原審第二二回公判期日に証人として出廷したKの供述(以下、「Kの原審供述」という)によると、KがNから水辺に誘われたのは長良川が最初ではなく、その前に蒲郡の海に誘われたというのであるが、Nはこれを否認しており、両者の供述は全く相反しているところ、Qの司法警察員に対する昭和五二年八月一〇日付供述調書中にもこれに沿う記載があるばかりでなく、その当時既にKは自己に掛けられた保険が保険金殺人の手段ではないかと感じていたというのであるから、何時何処へ殺害目的と想定される誘いがあつたかは、その脳裡に深く刻まれているのが当然であつて、Kの右供述部分は信用性が高く、これに反するNの原審供述は虚偽であり、しかもNの右供述によつても、被告人とのあいだでは蒲郡は話題にものぼらなかつたというのであるから、NがKを最初に蒲郡の海に誘つたとの事実は、本件K殺害予備事件等がN独自の犯行であることを裏付けており、また、Nの原審供述中には、保険会社が昭和五一年五月一三日にKらの身体検査にきた際に被告人からKに身体検査を受けるように言つてくれと頼まれた旨の供述部分があるが、Kの原審供述によれば、KがNから保険に入るよう言われたのは、昭和五一年四月に日建土木へ行つて三、四日後にNの車で名古屋から岐阜へ帰る途中の車内でのことであるというのであつて、Nの右供述とは全く異なつており、この点もNが被告人と無関係のところで本件各犯行の犯意を抱き実行したことを窺わせるに十分であり、Nの右原審供述はこれを隠蔽せんとしてなされた虚偽のものであるから到底信用できない、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Kの原審供述中にはNの原審供述と相反する所論指摘の趣旨の供述部分が見出されるが、Kの右供述部分のうち特に誰に海に誘われたかに関する部分を精査すると、「それは、誰から誘われたの。」との問に対し、「細かいことになると忘れちやつて。」とか、「それ、Nだろうと思う。」などと答えるにとどまり、しかも、それがどこの海であるかについては全く曖昧であつて、かかる供述の実情に徴すると、誰に蒲郡の海に誘われたかの点についてのKの記憶は甚だ不鮮明であるというほかなく、また、所論指摘のQの司法警察員に対する供述調書中の供述記載部分についても、「……Kは……関の方の川へ連れてかれて殺されそうになつたし、又、海等へも誘われた。等のような事を言つて……」というにすぎず、必ずしも川に誘われる前に海に誘われたというものではなく、所論のうちNがKを蒲郡方面の海へ誘つたことを前提とする主張は、その前提を欠き採用に由ないものというほかはない。

ところで、Kの原審供述中には所論指摘のように、昭和五一年四月に日建土木に行つて三、四日後に、Nから保険に入るよういわれた旨の供述部分があり、該供述部分をみても、その前後の状況を含めて相応の具体性をもち率直に語られているので、Kの右供述部分の信用性はこれを肯認することができ、従つてこれと抵触するNの原審供述部分はこれを信用することができないものといわれなければならない。

しかしながら、Kの右供述するところは、その言うところを仔細に検討してもNに加入を勧められたという保険の内容すらも明らかではなく、ましてやその保険が原判示のようないわゆる大型保険であつたことを窺わせるに足りる点はその供述中に見出すことができないのであるから、Nが既に昭和五一年四月上旬頃にKをなんらかの保険に加入せしめることを考えていたものと看るべき余地がないわけではないことを窺わせるにとどまり、それ以上にNのいう昭和五一年五月一三日の身体検査時に被告人からKに受検するよう言つてくれと頼まれた旨の供述部分の信用性を直ちに否定するに至るべきものでないことは勿論であるから、右のとおりNの原審供述中にKの述べるところと抵触し信用し難い部分が一部含まれているからといつて、この一事をもつてNの原審供述中の他の部分の信用性までも否定し去ることができないことはもとより、更にKの原審供述によれば、被告人からも「掛金は会社が出すので保険に入れ。」といわれたというのであるから、被告人自身においても、Kに被保険者になるよう勧めるなどKの保険加入に積極的姿勢をとつていたことが窺われるのであつて、この点をも併せ考えると、Nの原審供述中の右身体検査時に被告人からKに受検するよう言つてくれとの頼みを受けた旨の供述部分には信用するに足りるものが含まれているものと認められ、従つて所論のこの主張もまた前提を欠くことに帰着するものというほかなく、採用することができない。

以上検討したところを要するに、Nの原審供述中には一部措信し難い部分が含まれていることは否定し得ず、右たやすく信用し得ないNの供述部分は、Kの保険加入の経緯に関し自己の関与の度合いを低めるなどしてその刑責の軽減を図るべく虚偽の供述をしたのではないか、との疑念を差し挾むべき余地なしとはしないものの、所論のごとく、Nが被告人とは無関係にK殺害予備等本件各犯行を敢行したことを示すものであるとまでは到底言い難く、従つて、所論主張の点は、K殺害予備事件等に関する被告人とNとの本件各共謀の存否やその具体的内容等についての主要かつ根幹ともいうべきNの原審供述部分の信用性を左右するに足りるものではないというべきである。

7 Gの供述との矛盾をいう点について

所論は、要するに、原判示Gの原審第三五、三六回公判期日における供述(以下「Gの原審供述」という)とその検察官に対する昭和五二年一一月二四日付け供述調書中の供述記載(以下、「Gの検察官に対する供述」という)によれば、原判決の(罪となるべき事実)の項の第一の一の5のとおり、NとGとの間で昭和五一年七月中旬ころ、原判示喫茶店「トレビアン」においてK殺害の共謀が成立し、しかもそのK殺害の共謀は、原判決(罪となるべき事実)の項第一の二の1認定判示にかかる第一回目のK殺害予備行為の前になされたというのであるが、他方、Nの原審供述には右第一回目のK殺害予備の後に共謀が成立した旨の供述があり、NとGとのK殺害についての共謀の成立時期についてのNの供述はGの各供述とも大きく食い違うところ、かかる縫合不能というほかない食い違いがあるのは、NとGがK殺害の第一回目の予備については被告人自らが予備の実行行為をしようとしたことを強調してNが被告人の従たる立場にあつたことにすべく、両名ともに虚偽の供述をした結果であり、更にGは昭和五二年九月二二日に賭博開張図利幣助で逮捕され同年一〇月二二日まで勾留されこの間にも本件各犯行についても取調を受けたが終始否認し続け、保釈された後になつて、本件K殺害予備事件について供述したというのであり、しかもGは不起訴処分になつたというのであるから、Gの検察官に対する供述は捜査機関が不起訴の確約をして引き出した虚偽の供述というほかなく、またGの原審における供述態度は「記憶がない」「覚えがない」と殊更真相を述べるのを避けようとする異常なものであつたが、かかる異常なGの供述態度は自己の兄貴分であるNに不利益が及ぶのを避けようとしたことに由来したものであつて、N及びGの各供述は到底信用できない、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、先ず、Gの各供述の信用性を検討するに、Gの原審供述とその検察官に対する供述の要旨は、原判決がその(補足説明)の項の二において(原判決書四五丁裏四行目ないし四六丁表六行目)要約摘示するとおりであるところ(当審における供述もほぼ原審供述と同趣旨であつて、とくに異なるところはない。)、Gの原審供述中には「覚えていない」とするところが多いとともにGは本件当時Nの配下にあつた者であり、その供述の信用性ついては慎重な検討を要することは勿論であるが、Gの当審における供述態度をつぶさに観察しても、原審におけるのと同様に記憶がないとする点が多いものの、殊更供述を拒否し、あるいは真実を秘匿しようとの態度に出ていることを窺わせるようなところはとくに見出されず、主として年月の経過に伴つて記憶に確実性が欠けるに至つた結果であるものと解され、また当審における証人Rの供述するところと対比して検討しても、Nの内妻であるRが「警察に出頭して、知つていることは全部しやべつても構わない。」旨言つているのを知り、最早事実を秘匿する必要がないものと判断し従前の否認を翻してNとの共謀の具体的内容や状況等本件K殺害予備に関する供述を始めたとする点にも、格別不自然不合理と目すべき点はなく(なお、本件全証拠を精査するも、捜査機関が不起訴の確約をするなど所論のような利益誘導によりGの供述を引き出したことを窺わせるに足りる事情はなんらこれを見出すことができない。)、更にGの原審供述および検察官に対する供述の内容を検討しても、Nが多額の金銭の分配を示唆しつつK殺害計画を持ち出したこと等Nにとつて不利益というほかない供述を含むばかりか、その供述内容は、原判決が説示するように(原判決書四六丁裏一行目ないし九行目参照)、自己の体験を踏まえたものと認められるとともに、前後三回にわたるK殺害予備行為の具体的状況等について供述するところは、Kの原審供述とその主要な点において良く符合しており、これらの諸点に徴すれば、Gの右各供述は十分信用に価するものと認められる。

次に、Gの原審供述および検察官に対する供述とNの原審供述とを対照させつつ検討するに、両者の供述は、NとGとの間におけるK殺害に関する共謀がどの時点で成立したかの点を除き、謀議の具体的内容や謀議の場所等これに付随する状況についても、その大綱において良く符合し、格別の矛盾点や相違点も見当たらないところ、右共謀の成立時期につき、第一回目のK殺害予備の前であつたとするGの各供述の方が、その後であつたとするNの供述するところよりも事理に合い自然であることは、原判決の説示するとおりであつて(原判決書四七丁目裏二行目ないし同丁裏九行目参照)、Nの原審供述中Gの右共謀の成立時期に関する供述に抵触する部分はたやすく措信し得ないものといわなければならない。

しかしながら、Nの原審供述中のGとのK殺害の共謀に関する供述部分は、共謀成立の時期の点を除き、NからGにK殺害に加担するようもちかけたこと等自己に不利益な点をも含めて、叙上のとおりGの供述するところと良く符合していることなどに徴し、更には、所論指摘の点を考慮しても、Gとの間の共謀成立時期を第一回目のK殺害予備の後にずらし、ここに意図的な作為を介在させることによつてNの刑責の軽減が容易に果たしうるものとは考え難いこと等をも併せ考慮すると、NとGとの間の右供述の食い違いは、所論の主張するような意図をもつたNの作為によるものとは到底解し難く、結局のところ、原判決が説示するようにNの記憶違いに起因するものと認めるのが相当である。

そうすると、Nの原審供述中にはNとGとの間でK殺害の共謀が成立した時期について措信し得ない部分が含まれるが、この一事をもつて直ちに被告人との本件各謀議の存在やその内容に関するNの供述の信用性を左右することはできないとした原判決の判断は、正当として是認することができる。

8 Hの供述との矛盾をいう点について

所論は、要するに、原判示第二のI殺害未遂事件に関し、原判示H(以下、「H」という)は原審第一五回および第一六回公判期日において、Nから交通事故に見せかけてIを殺害するとして、Iは新車に乗つているからそれを一台の車がぶつけて降りてきたところを他の車で跳ねるとの具体的方法を指示された旨供述している(以下、これを「Hの原審供述」という)ところ、Nの原審供述中には、Iの殺害方法はHの方で考えたものであつて、Nは一切考えていない旨のHの原審供述と矛盾する供述が見出されることに加えて、更にNの原審供述によれば、NはHから要求されたぶつける車の購入代金について被告人に相談を持ち掛けたり、被告人からIの通勤コースを教えて貰つたりしたともいうのであるが、殺害方法が判明しているからこそ、ぶつける車の購入代金が話題となりIの通勤コースを知る必要があつたというべきであるから、Nの原審供述には明らかな自己矛盾があり、また、HはIが新車を買つたばかりであることを知る由もなく、Hと接触したのはNのみであるから、NがI殺害の方法を考案してHに伝授したとしか考えられず、従つてHがI殺害の方法を提示したというHの原審供述と矛盾し、かつ、自己矛盾のあるNの原審供述は虚偽であることが明らかであり、かかる重要な点に明らかな虚偽を含む以上Nの原審供述中の被告人との共謀に関する供述部分が信用できないことは勿論である、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Nの原審供述中には、I殺害未遂事件に関し、I殺害の方法については「私の方で……ただ、殺しを頼むと、頼めばH君の方でやつてくれるということで、方法としては、一切、考えておりませんでした。」との供述部分があるのに対し、Hの原審供述中には、I殺害未遂事件に原判示共犯者の一人であるS(以下、「S」という)が関与するに至つた経緯に関連して、「NさんからIさんの話を聞きまして、まあ、Nさんが具体的な殺害方法といいますか、交通事故に見せかけてはねるという具体的な指示があつたもので、Yに話したわけです。Iさんが新しい車に乗つているから、それを一台の車がぶつけて、そうしたら必ず降りて来るから、そのところを後ろからはねろという指示だつたもので、それには一人いるということで、Yがうちから出すということで出したわけです。」とのNが供述するところとは全く相反する供述部分があることは所論指摘のとおりであるところ、Hの右供述は率直かつ具体的であるばかりか、現に敢行されたI殺害未遂事件の態様は、HがNから示された旨述べるところとよく合致しているうえ、Nの供述によつても、HはIを知らずIが新車を購入した事実などはこれを知るに由なかつたことが明らかであるから、Iが新車に乗つていることに着目した右のごとき殺害方法をHにおいて案出し得るものとは考え難いこと等の諸事情に徴すると、Hの原審供述中の右I殺害の具体的方法の提案者に関する供述部分は十分に信用することができ、これに抵触するNの原審供述部分はたやすく措信することができないものと言わなければならない。

しかして、Nの原審供述中のI殺害の具対的方法の提案者に関する供述部分は措信し難く、Nが右の点について自己の刑責の軽減を図るべく虚偽の供述をしたとの疑いを差し挾むべき余地はこれをなしとはしないが、NとHの各原審供述を対比して検討しても、右の点以外には、NにおいてIの殺害実行をHに依頼したこと等I殺害未遂事件の謀議内容や殺害行為を実行するに至るまでの具体的経緯、あるいはその間のNの果たした役割や関与の程度等の点を含め、事案の主要な点について両供述の間に特に矛盾・相反する点はなく、従つて、Nの原審供述中のI殺害に関するHとの共謀等についての供述部分は、右I殺害の具体的方法の提案者の点を除いて、Hの原審供述によつても裏付けられているものと言うことができる。

また、右Hの原審供述を含む関係各証拠を総合して検討すると、被告人がIを伴つて原判示料理店「柳生」で飲酒した直後の昭和五一年九月一八日ころの午前零時三〇分ころに、原判決がその(罪となるべき事実)の項の第二の一において認定判示するとおり、Hらは日建土木の事務所付近からIの運転する普通乗用自動車を追尾したが、IがHの教えられていた通勤コースとは異なつた道を走行したため殺害計画を実行に移せなかつたこと並びにHがNと連絡を取りこれを受けてNは改めてI殺害の機会を作出するべく企図していたところ、被告人の提案により同月二〇日午後七時ころから原判示「とんちやん会」が催され、その後更に被告人がIを誘つて再度右「柳生」へ赴きIを交えて飲酒の場をもつたが、その直後の帰宅途上で、原判決(罪となるべき事実)「第二Iに対する殺人未遂事件関係」の項に認定判示されているとおり、IはS運転の自動車に跳ね飛ばされて怪我をしたことが認められ、右事実によれば、被告人がIと深夜まで飲酒した所為とHらのI殺害計画とが重ねて一致したことが明らかであるが、かかる重ねての一致が単なる偶然の結果たまたま生じたものとはたやすく考え難く、却つて、Nのいうように被告人がI殺害未遂事件に関与しているものとするならば、右のごとき度重なる被告人の所為とNらのI殺害計画との一致も、無理なく整合性をもつて容易に了解し得ることは極めて見易いところであつて、かかる事情の存在することをも併せ考えると、I殺害未遂事件実行に関する具体的経緯や事情についてNが原審において述べるところは、Hの原審供述と良く符合しているだけにとどまらず、疑念を差し挾む余地のない客観的な状況ともよく整合し、その真実性が担保されていて十分信用に価するものということができるから、その一部に所論指摘のごとき措信し難い部分があるからといつて、この一事をもつて直ちに被告人との共謀等についてのNの原審供述部分の信用性を左右することはできないものというべきである。

9 I供述との矛盾をいう点について

所論は、要するに、Nの原審供述によれば、NはI殺害をHらに実行させるに先立つて被告人からIの通勤路を教えられ、これに基づいてHに教えたところ、Iが教えられたコースを通らなかつたため殺害行為に着手できなかつたというのであるが、Iの原審第八回および第九回公判期日における各供述(以下、これを「Iの原審供述」という)によれば、被告人がNに教えたというコースはIの通常の通勤コースではなくまず通らないコースであるというのであるから、被告人はNに誤つたコースを教えたことになるが、個人企業のころから長年にわたつてともに仕事をしてきた被告人がIの通勤路を知らないはずがなく、真実被告人がNが供述するような意図でIの通勤路を教えたのであるならば、誤つたコースを教えるはずもないから、Nの原審における右供述は信用性がなく、却つて本件一連の犯行が被告人とは無関係にNが立案実行したことを如実に物語るものである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Iの原審供述によると、Nが被告人から教示されたとして述べるコースは、Iが通常とつている自宅と日建土木間の通勤路ではなくIが通ることの「まずない」コースであるというのであるが、Iの供述するところを精査しても、Nが被告人から教示されたというコースとの違いは、I殺害の予定場所とは直接の関係がない日建土木付近の極く一部のコースにすぎないうえ、前叙のとおりのHらのI殺害計画と重ねて符合する単なる偶然の暗合とは解し難い事情が存在するばかりか(前8項参照)、更に関係証拠によれば、被告人は、原判示(罪となるべき事実)第二の二のとおり、Mを介してAIU外一社に対しIの受傷に伴う保険金支払請求手続をなしているが、その際Iには保険金支払請求の手続をとることすらも諮らなかつたばかりかI自身が作成すべき同人名義の書類までも被告人において作成していることが認められるのであつて、加えて、記録を精査するとともに当審において被告人の供述するところを仔細に検討しても、かかるいわばI自身に対してはこれを秘匿するかのごとき仕方で被告人が保険金支払請求手続をなしたことにつき、首肯するに足りる合理的理由はなんらこれを見出し得ないこと等をも併せ考えると、被告人の右認定にかかる本件I殺害事件の前後にわたる言動等は、Nのみならず被告人自身も深くI殺害未遂事件に関与していることを前提として初めて良く理解できるところであるから、被告人がNとともにI殺害未遂事件に関与しその一環として被告人がNにIの通勤コースを教示した旨のNの原審供述は、所論にもかかわらず、明らかな状況証拠によつてその真実性が担保されていて、十分に信用するに価するものということができる。

10 Qの供述との矛盾をいう点について

所論は、原判示第三のO殺害事件に関し、本件当時Nと極めて親しい関係にあり、その立場上被告人をかばう理由のないQの原審第六〇回公判期日における供述とその司法警察員に対する各供述調書(以下、「Qの原審供述等」という)によると、Qは、Oが昭和五一年一〇月に日建土木の名目上の取締役に就任する以前の同年九月ころにNからO殺害の依頼を受けた事実が認められ、この事実はNが被告人と無関係にO殺害を企てていたことを示し、Qの原審供述等に反するNの原審供述は虚偽であつて信用できないことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Qの原審供述等には所論のような供述部分があることはその指摘のとおりであるが、QがNからO殺害の依頼を受けたとする昭和五一年九月ころの時点では、Oの所在すらも不明であつて、Oを被保険者とする原判示第三のごとき保険契約も未だ締結されていなかつたことが明らかであること等の事情に徴すると、Qの所論指摘の原審供述等が到底信用に価しないことは明らかであるから、所論はその前提を欠き採用に由ないものというほかはない。

11 O1らの供述との矛盾をいう点について

所論は、要するに、Nの原審供述中には被告人と恵那峡に下見に行つた際の状況について詳細かつ具体的な供述があり、しかもNは恵那峡には二回しか行つたことがない旨述べるが、O1およびO2の司法警察員に対する各供述調書等関係証拠によれば、Nの両親の出身地は恵那峡を含む東濃地方であることが認められるから、Nは年少のころから何度となく名勝地である恵那峡を訪れたことがあつて恵那峡についての知識があつた筈であるから、Nの供述するところは別の機会に行つた際の記憶を織り混ぜて虚偽の供述をした疑いが強く、全く措信あたわざるものである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Nの原審供述中の被告人との恵那峡へのいわゆる下見行についての供述部分が詳細かつ具体的であるとともに不自然・不合理な点のないことは原判決が説示するとおりであり、更に、所論指摘の点を考慮しつつその前後の状況等をも含めてその述べるところを仔細に検討しても、Nの原審供述は、GおよびKの各原審供述をはじめとする被告人を除く他の関係者らの供述するところと良く符合しており、その供述が所論のいうように他の機会における記憶を織り混ぜて虚偽の供述をしているものと疑うに足りる事情はこれを見出すことができず、十分に信用するに価するものということができ、所論指摘の点をもつてしてもNの原審供述中の被告人との恵那峡へのいわゆる下見に関する部分の信用性を左右する余地はなく、右供述部分の信用性はこれを十分に認めることができる。

12 Lの供述との不適合をいう点について

所論は、要するに、Lの司法警察員に対する昭和五二年三月四日付供述調書によれば、Lは昭和五一年一二月中旬の日曜日にO宅を訪れた際に被告人と喫茶店で会つたというものであるところ、Nの原審供述では、被告人はLに会つたことがあるらしいと述べるにとどまるが、原判決によれば、被告人においてLに会つた時期がNと被告人のO殺害の謀議成立の直前であり、しかもLとOの関係がO殺害実行の動因であつたというにもかかわらずNが右のような曖昧な供述しかしていないというのは、被告人からLとの面談の件が持ち出されなかつたことを示し、ひいてはNのいう被告人との間におけるO殺害の謀議の存在しなかつたことの有力な証在であるというべきである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、所論指摘にかかるLの司法警察員に対する供述調書とO1の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人とLが所論指摘のころに会つている事実が認められるとともに、Nの原審供述中にはこの点に関連しては所論指摘のような供述があるにとどまりそれ以上の供述はないが、所論のいう諸点を考慮しても、この点が直ちにNのいう被告人とのO殺害の謀議の不存在を示すものとは解し難いところであるのみならず、Nの原審供述中の被告人との間におけるO殺害の謀議の具体的内容として述べる部分や(原判決がその四二丁目裏二行目ないし同丁裏八行目に正当に要約摘示しているところを参照)、O殺害に関する共謀が原判示第三の各共犯者らとの間で成立するに至るまでの具体的経緯等について詳細に述べるところは、被告人を除くHら関係者の原審供述等関係各証拠と対比しつつ仔細に検討しても、その主要な点において良く符合し、Nと被告人との間におけるO殺害の共謀の成立等に関する供述内容の真実性に払拭し難い疑念を抱かせるに足りるような不自然不合理なところも見出し得ず、十分信用に価するものと認められる。

(なお、Nの原審供述中には、O殺害事件を実行するに至るまでの経緯に関連して、Iの殺害に失敗した後にYから「まだ保険にはいつている奴がいるから早く金を作れ。」と再三催促されたのでやむなくO殺害を実行するに至つた旨あるいはHから「再度KをやるからKを探せ。やる奴は待たせてある。」といつてきたこともあつて実行することにした旨述べる部分等があるが、Nの右供述部分を裏付けるに足りる証拠はいずれもこれを見出すことができず、Nの右各供述部分はその供述する内容等に照らして、自己の犯行に対する積極性を弱めその刑責の軽減を図るべくなされた虚偽の供述である疑いを払拭し難く、たやすく措信できないものというべきであるが、これらはいずれもNが本件O殺害事件の実行を具体的に決意するに至つた経緯におけるいわば内心的な事情にすぎず、一種の弁解と目すべきかかる主観的・内心的な事情に関する供述の一部に信用し難い点が含まれているからといつて、前叙のとおり、供述内容の主要な部分において他の関係証拠と良く符合し不自然不合理な点のない被告人とのO殺害の共謀に関する供述部分の信用性までも否定することは到底できない。)

(二)  以上において検討してきたところを総合して考察するに、原判示第一ないし第三の各事実に関するNの原審供述は、それがいわゆる「共犯者の自白」であるだけにとどまらず、その供述中には前項において検討を加えたとおり、容易には措信し得ない諸点が含まれており、更に右諸点のほかにも、例えば、NがKを自宅敷地内の一部に居住せしめるに至つた理由として述べるところをみても、その時期が前叙した土地所有者との紛争が生じていた時期に合致することや、前叙のようにNがKに対し吉祥殿放火の指示を与えたことがあるばかりか、現に保険金取得のためにKを殺害の対象にしようとしていること等の事情に徴すると、果たして、その述べるように生活能力がなく困窮していたKを不憫に思つたためであつたとするには、多大の疑念を差し挾む余地があるし、また原判決がその(補足説明)の項において指摘するとおり、Nの日建土木の経営に対する参画の程度についてもその供述するところには不正確とみるべき余地があること等、Nの原審供述中には安易に信を措き得ない点が散見され、その供述の全体的な信用性については、その供述するところと明らかで動かし難い客観的な状況証拠との整合性や他の関係証拠との対応関係等を仔細に吟味しつつ、慎重に検討することを要し、唯単にその供述するところが具体的かつ詳細であつて臨場感にもあふれているといつた観点のみからその供述の信用性を判断することは、適切を欠くものといわなければならない。

しかしながら、前項において指摘した諸点をはじめとするNの原審供述中のたやすく措信し得ない部分を更に仔細に検討して考察すると、I殺害未遂事件の被告人との謀議時におけるNの使用車種とKを日建土木事務所裏の建物に転居させた理由に関する部分は、いずれも他の関係各証拠によつて明白な客観的事実に反し措信し得ないことが明らかであるが、前項において認定説示したとおり、いずれもNの記憶の混乱に起因する単なる記憶違いないし表現上の誤りにすぎず、あえて虚偽の供述をしたものとは認められないところであるから、直ちに被告人との間におけるK殺害予備事件等本件各犯行についての共謀の存否等主要で根幹的な供述部分の信用性を左右するに足りるものではない。

また、Nの供述するところには被告人との共謀の有無に関する点をも含めて供述内容に変遷が認められるとともに、Nの原審供述自体にもその前半部分にはいささか粗雑にわたるとの印象を否定し難い部分があるのに比し後半部分の供述の方がより詳細で細部にわたつていること等の差異が見出されるものの、前半供述時には本件と直接関連するN自身の事件が第一審で審理中であつたこと等にかんがみると、既に控訴審における判決も言い渡されて約二年が経過した時点での後半供述との間にある程度の差異が生じるのも、これまたやむを得ないところであつて不自然視するに足りないのみならず、前半部分と後半部分の供述内容を対比して検討しても、本件一連の犯行の大綱に関しては、被告人との共謀の点を含めて、前後に重大視すべき相違点は見出し得ないばかりか、却つて、その主要な点についての供述は相互に良く合致していて虚構の事実を反復して供述しているものとは考え難いうえ、供述の変遷に関してNの述べるところを仔細に検討しても、既に説示したとおり、「やしま」の駐車場における被告人との話合の件や「吉祥殿放火事件」をはじめとしてその供述するところの核心部分は、Kの原審供述その他の関係各証拠によつて裏付けられていて、架空のものとは解し得ず、十分に信用に価するものを含んでいるものと認められるとともに、Nが被告人との本件各共謀を認めざるを得なくなつた理由として述べるところにも、なんら不自然不合理な点はこれを見出すことができず、とくに保険会社から日建土木に支払われる保険金をNが入手する方法を捜査官に追及されて被告人との共謀を供述せざるを得なくなつたとする点等は、人をして納得せしめるに足りる十分な合理性を持つものとして首肯することができ、これらの諸事情は、所論にもかかわらず、却つて被告人との本件各共謀に関する部分を中心とするNの原審供述の主要な点の信用性を担保するに足りるものといわなければならない。

更に、Nの原審供述を関係各証拠と対比して仔細に検討しても、K殺害についてGとの間で謀議が成立した時期につきGの供述との間に食い違いが見られ、その限度においてNの原審供述には信用し得ないものがあるが、前叙のとおり、右の食い違いはNの記憶違いに起因するものにすぎず、その他の点についてはNからGにK殺害に加担するようもちかけたこと等Nにとつて不利益というほかない点を含めてGの供述するところと良く符合していて、信用に価するものと認められる。

また、Nの原審供述中には、I殺害の方法の提案者をHとする点やI殺害未遂事件に関連したAIU振出にかかる額面一五三万円の小切手金の入金先を知らなかつたとする点等少なからぬ諸点にたやすく措信し難いものがあり、これらの点はいずれもNが本件一連の事件において果たした自己の役割やその比重を低減させて刑責の軽減を図るべく虚偽の供述をしたのではないかとの疑いを差し狭むべき余地のあることは前叙したとおりであるが、これらのNの原審供述に含まれる措信し得ない供述部分は、いずれも前叙のとおり、直ちにNの原審供述全体の信用性を左右するに足りるものではなく、却つて、前示の信用し得ない諸点を除いた主要で根幹的な部分についてNの供述するところは、Nにとって不利益というほかない点をも含めてK・G・H等関係者らの供述するところと良く符合しているうえ、Hらが二度にわたりI殺害を試みた際には、いずれの場合にも、被告人はIと飲酒する機会をもち、その結果Iは自動車を運転して深夜に帰途につき、一度は難を免れたものの、二度目には危難に遭遇するに至つているのであるが、このような重ねての暗合が全くの偶然によつて生じ得るものとはいかにも考え難く、Nの供述するところは、かかる状況とも符合しているのであつて、これらの諸事情をも併せ考えると、Nの原審供述中には右のようなたやすく措信し得ない部分が含まれるものの、なお被告人との共謀の点をも含むその主要で根幹的な供述部分については、客観的な状況証拠によつてもその真実性が担保されており、十分信用に価するものということができる。

二Nの原審供述と被告人の供述との比較検討

(一)所論は、被告人は原判示第一ないし第三の各事実には全く無関係であつて無罪であるとして多岐にわたりるる主張し、被告人は所論に沿う詳細な供述をしているので、以下において、所論の指摘する主要な点に則しつつ被告人の供述し弁解するところの信用性を検討し、これと対比しながらNの原審供述の信用性を検討する(以下、被告人の捜査官に対する供述および原審並びに当審における供述を併せて単に「被告人の供述」という)。

1 動機の不存在をいう点について

所論は、被告人が実質的な経営者であつた日建土木の経理状況を基礎に置きつつ多岐にわたつてるる主張するが、その要旨は、協栄興業を引き継いだ日建土木が営業を開始した昭和五〇年一〇月からの累積収支をみても、営業開始後七か月で僅か六五万円余のマイナスに過ぎず(昭和五一年になつてからの四か月間では五二万円余のプラスとなる。)、そのマイナスも土木事業にとつて一つの先行投資となる車両運搬具の修繕費の昭和五一年度一年間分の五四パーセントが同年一月と四月の二か月間に支出された結果生じたものであつて、右修繕費が特定の月に集中することなく平均的に支出されておれば、収益は大幅にプラスになつたのであるし、日建土木の資産内容をみても、含み資産である車両運搬具の実質価値は三〇〇〇万円はあり、協栄興業の商権や土木に関するノウハウを換算すると、協栄興業から引き継いだ債務を考慮しても、日建土木の資産内容は悪かつたとは言えず、また被告人の資金調達能力をみても、現金・受取手形・売掛金により同年四月には一七三四万円余の調達能力があつたことが明らかであるうえ、日建土木の負債のうち大きい意味をもつ支払手形は修繕費・外注費・仕入等のため取引先に交付したものであつて、これら取引先とは永年の取引があり、万が一支払期日に支払資金が不足した時には容易に支払延期を依頼できるものであつたから、昭和五一年四月ころには被告人は本件一連の犯行を決意しなければならない程追い詰められてはおらず、しかも日建土木が主目的としていた土木事業は何時受注があるか予測し難い業種であり突然受注がある傾向が強く、かかる土木会社の特殊性もあつて、被告人は日建土木の経営に自信をもつていたというのであり、更に被告人は、Oから原判示高島化学工業株式会社(以下、「高島化学」という)の土岐市への工場移転の総工費は一〇億円位であり、土岐市の市会議員であつたOの父親がかつて高島化学の工場誘致について功績があつたので右移転工事はその謝礼として貰う旨の説明を信じ、Oの言葉を少しも疑うことなく、Oは日建土木が高島化学から工事を請負う上でなくてはならない人物であると信じ、Oに期待していたのであるから、その被告人がO殺害を意図するはずがない、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、日建土木の経営状態に関し、被告人の原審と当審における供述中には所論に沿う部分があるが、被告人は捜査の段階においては昭和五一年四月の時点をも含めて日建土木の経営状態が劣悪であつたことを認めていたことが明らかであつて、被告人の供述するところは首尾一貫せず、前後矛盾し、既にこの一事をもつてしても、たやすく信を措き得ないものと言わざるを得ないが、日建土木の総勘定元帳を含む原判決挙示の関係各証拠を総合して所論指摘の諸点を考慮しつつ仔細に検討しても、原判決がその(被告人の経歴、日建土木株式会社の設立経緯等)の項において認定判示するとおりの経緯で設立され、被告人が実質的な経営者の地位にあつた日建土木は、協栄興業の債務の大部分を引き継いだこともあつて、その実質的な資産内容は極めて劣弱であつたが、昭和五一年一月以降の営業状態をみても全体として不良というほかなく、同年一月・三月・四月・一〇月・一二月には多少の月次利益を帳簿上計上し得たものの(なお、一二月期の計上月次利益一一八万円余は、原判示第二のI殺害未遂事件に関連して支払われた「大型保障保険」金を雑収入として計上した結果生じたものに過ぎず、これを除けば四八〇万円余の欠損金を計上することになる。)、その余の月次欠損金額はこれを遙かに上回り、結局のところ、同年末の時点では、二四〇〇万円を越える欠損金を抱えるに至るとともに仕事の受注も殆どない状態に陥り、一部の従業員を退職せしめたりしたが、被告人は、その間窮状をしのぐべく、同年五月以降Nから(但し、名義はK、M等他人名義となつているものもある。)三〇万円ないし二〇〇万円前後の現金の借り入れを重ね、同年末ころにはその累計額はいかに少なくみても一〇〇〇万円を上回る多額に達したことが認められ、右認定の事情に徴すれば、所論指摘の土木会社の特殊性等を斟酌しても、同年四月の時点において既に日建土木の経営状態が悪化し先行き資金繰りに窮することが見込まれる状態に陥つていたことは余りにも見易いところであつて、所論に沿い右認定に反する被告人の供述が信用できないことは明らかである。

なお、被告人は「Oの持ち込んできた高島化学の工場用地造成工事を受注できる見通しがあつたので、その関係でNに資金援助を頼んだら、これに応じてくれたのである。」旨弁解するが、関係各証拠によれば、OはNが昭和五一年一月に恐喝未遂罪等により逮捕され、以後身柄を拘束されていた間に、Nの名をかたつてNの知人らから数百万円もの多額の金銭を借用したうえ所在不明になつてしまい、ためにNはこれを弁済せざるを得ないはめに陥つたこと等もあつて、NがOに対して強い不信を抱いていたことが明らかであるのみならず、NがOの所在を知り得たのは、同年一〇月七日ころに至つてのことであり、これらの事情に徴すれば、NがOの言を信用して前叙のごとき経営状態にあつた日建土木に多額の融資をするものとはいかにも考え難く、この一事に照らしても、被告人の右弁解が信用できないことはこれまた明白であるというほかない。

また、所論は、高島化学の工場用地造成工事受注を信じていた被告人が、そのためにも重要なOを殺害する意図をもつ筈がない旨主張し、被告人はこれに沿う供述をするが、原判決の挙示するFの司法警察員に対する昭和五二年五月一三日付供述調書によれば、昭和五一年一一月一〇日ころに高島化学を来訪した被告人に対し、同社の総務を担当していた右Fは、高島化学としては、先に刈谷市内に新工場を建設するために多額の資金を投入したため土岐市への工場進出を延期する決定を下しており、また、社長から「Oの相手になるな。」といわれていたこともあつて、「本当のことを言つて、引き下がつてもらつた方があとあとわずらわしくないし、変に色気をもたせて、たびたびたずねられたら、かえつて、めんどうくさいと考えて、被告人に『認可はまだおりていないですよ。私個人の考えだが、高島は刈谷に進出したので、資金がなくなつてきた。ご存知のとおり、最近は不景気だし、認可があつても、高島としては土岐は延期すると思うよ。』『あんたも、私とこの工事ばかりではなくて、ほかの工事もさがしたら。』と言つてやると、被告人が『はあ、そうですか。』と返事しただけで帰つた。」というのであつて、これによると、被告人は既に昭和五一年一一月一〇日ころにはOのいうところの高島化学の工事受注の見通しのないことはこれを承知せざるを得ない事態に立ち至つていたことが明らかであり、更に、当時のNと被告人との密接な間柄からすれば、前叙のとおり、OがNの名前をかたつて詐欺的方法で借金をするなど、たやすく信用できない人物であることは、これを被告人においても当然知悉していたものと容易に推認し得ることをも併せ考えると、その後にあつても被告人がなおOの言を信用していたものとは到底考えられず、所論に沿う被告人の供述はたやすく措信し得ないものというほかはない。

2 大型保障保険加入の経緯・事情について

所論は、要するに被告人は従来からリスクの多い土木事業の不慮の事故に対する措置として、保険は会社の経営に不可欠のものと考え、各種の保険に加入していたところ、昭和五一年にAIUが大型保障保険のキャンペーンを行なつた折に、AIUの代理店であつたMが被告人に執拗に勧誘してきたが、保険料の負担増を考え断わり続けていたものの、Mに対しては協栄興業時代にMの紹介で一〇〇〇万円を無担保無利子で借り受けることができたばかりか、その返済についても現金で返済できず重機を代物弁済する等して迷惑をかけたことなど種種の義理があり、しかも大型保障保険の加入期間は一年と限定されていたので、Mの右金融の斡旋に対する謝礼と考えれば納得できる範囲内であつたため加入することにしたのであつて、なんら不自然不合理なところはない、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、関係各証拠によると、被告人は、所論に沿う供述をしているとともにMの原審と当審における供述中にもこれに符合する部分が見出されるが、他方、本件大型保障保険は、原判決がその(被告人の経歴、日建土木株式会社の設立経緯等)の項の五において認定判示するとおりの内容の保険であつて、被保険者は財団法人全国法人会連合会の会員である法人の役員及び幹部社員とされているところ、先ず、被告人が事実上の契約締結遂行者となつて締結された本件大型保障保険契約において被保険者とされたK・I・Oの三名の日建土木における実質的な地位・立場等にかんがみ、右の三名が被保険者としてその趣旨に適合するに足りるものであるかどうかをみるに、Kは保険契約発効日である昭和五一年七月一日当時形式的には日建土木の代表取締役の地位にあつたとはいえ、被告人が不渡手形を出して倒産した協栄興業の代表取締役に就任していた関係で、自らは日建土木の代表取締役には就任できず、ために設立時以降被告人の義弟であるCがその地位にあつたが、右Cと被告人とは会社の経営方針等についても意見が合わず、間もなく右Cが代表取締役を辞任するに至つたため、その後にNの紹介によりその地位に就けた全くの名目上の代表者に過ぎず、知的能力が劣るのみならず、その風体等からしても、被告人自身の言によつても、他に日建土木の代表者として紹介すらもなし得ない程の人物であつて、現に代表取締役に就任した後にあつても、唯単に日建土木事務所裏の建物に居住するのみで、工事現場における雑役を除いては殆どなんらの業務にも従事しておらず、仮にKに事故があつたとしても、日建土木がなんらかの実質的な損害を蒙り痛手を受けるものとは考え難く、いかなる観点からしても大型保障保険の趣旨に適合し最高保障金額三億円もの巨額にのぼる保険の被保険者としての実質的な適格性を有していた人物であつたものとは到底認められないし、Kを本件大型保障保険の被保険者とした際に、被告人とともに同じく被保険者とされたIにしても、協栄興業当時から被告人の許で稼動してきたものであり日建土木設立に当たつては発起人の一人に名を連ねているものの、それも単なる名義上のものにとどまり、日建土木の取締役等の役職に就いたこともなく、一従業員として専ら現場関係の業務に従事するのみで会社の経営面には一切関与していなかつたものであつて、果たして本件大型保障保険の本来の趣旨に適合する地位・立場にあつたかはいささか疑問というほかなく(K殺害計画が不調に終るのと殆ど同時に、今度はIが殺害の対象にされるに至つたという証拠上明白な事実や、Kを被保険者とする本件大型保障保険契約を締結したのと相接着する時点でIを被保険者とする契約が締結されていること等に徴すると、Kのみを被保険者にしたうえで殺害した場合には、直ちに高額の保険金を目的とした殺人事件ではないかとの疑いを抱かれるおそれが大きく、この点をおもんばかつて、Iをも被保険者に加えたものとも理解される。)更に、Oにしても、昭和五一年一〇月二〇日ころに日建土木の取締役に就任したものの、N等に対する多額の負債の整理に窮していたばかりか身の置きどころすらもなく、Nを介して日建土木に居場所を与えられて日建土木の業務とは無関係な機械関係の設計等に当たつていたものであつて、日建土木からは役員としての報酬すらも支給されない全くの名目的な役員にすぎず、Oの存在が日建土木にとつて格別の意義を有していたものとは考え難く、所論の主張し被告人が供述するところのOが紹介するという高島化学の土岐市への進出に伴う工場用地造成工事等の件にしても、既に同年一一月一〇日ころには、被告人自身が同社を訪ねて実情を聞かされ、その結果なんらの期待をも寄せ得ないことを明確に認識し、Oの言が信頼し得ないものであることを十分に承知せざるを得なくなつていたことは、前叙のとおりであるから、被告人としては、当初、Mからの働きかけがあつたため、Oをも被保険者に加えることにしたに過ぎなかつたにしても、Oが日建土木にとつて格別の意義を持たない存在であつたことは明白であつて、Oに事故等があつたとしても日建土木がなんらの損害や痛手を蒙るものとは考え難く、日建土木の劣悪な経営状態の下で、あえて高額の保険料を支払わなければならないような事情もおよそ見出し得ないから、Oを本件大型保障保険の被保険者とすることは、到底大型保障保険の本来の趣旨に適合しないことが明らかであり、しかも健康上にも問題が無くはなかつたOに、同年一一月中旬以降の時点においてもなお重ねて健康診断を受検させてまで本件大型保障保険契約を締結すべき合理的必要性は全くこれを見出すことができないものというほかはない。

しかして、右においてみた被保険者とされたKら三名の日建土木における実質的な地位・立場等に徴するだけでも、被告人が遂行者となつて締結された本件各大型保障保険契約は、その実質的内容をみると、いかにも常軌を逸し異常というほかないが、証人Bが当審において述べるところによれば、昭和五一年当時他に一社で複数の被保険者につき本件のごとき大型保障保険契約を締結した事例は、原判示大同生命保険相互会社名古屋支店の社員である右のBも耳にしていなかつたというのであり、しかも右各保険契約が締結された時期には、前叙したとおり、日建土木の経営状態は劣悪化の一途をたどつており、現に昭和五一年九月二〇日には保険料の支払いにも窮し、Nから現金三〇万円位を借り入れてようやくその支払いをする有様であつたのにもかかわらず、その後にあつてもなおも、一か月当たりK分一二万二五八五円およびI分九万四〇八五円に加えて、更にO分一五万五五八五円にものぼる多額の保険料の支払いまでもあえて負担するに至つているのは、被告人やMが当審において供述するところを慎重に考慮しその述べるところを斟酌しても、最早通常の事態の域を遙かに越え、これまた著しく異常というほかなく、これらの諸点に徴すると、いかに被告人がMに恩義を感じMの勧誘が執拗であつたとしても、所論が主張し被告人とMが供述するような程度の「義理」のために、被告人自身を被保険者とする大型保障保険契約を締結したうえに、なおもK・I・Oの三名を被保険者とする本件各大型保障保険契約までも締結したとするのは、いかにも不合理で不可解極まりないものというほかなく、更に所論の指摘にかんがみつつ被告人の供述するところを仔細に検討しても、右のごとき不合理・不可解さを解消するに足りるような納得し得る特段の事情は一切これを見出すことができない。

右において説示したところに加えて、関係各証拠によれば、Kを被保険者とする大型保障保険契約が発効した昭和五一年七月一日から僅か半月後から、三回にわたる原判示第一のK殺害予備事件が相次いで発生したばかりか、なおもIを被保険者とする保険契約が発効した同年八月一日から約五〇日後には原判示第二のI殺害未遂事件が惹起され、更にOを被保険者とする保険契約が発効した昭和五二年一月一日の僅か一週間後には原判示第三のO殺害事件が発生してOが殺害されるに至つているのであつて、いずれも被告人が遂行者となつて締結された大型保障保険契約が発効したのと接着して、しかも僅か半年余の短期間の間に連続して本件大型保障保険の被保険者とされた三名に対する原判示にかかる右各事件が発生するという単なる偶然の暗合とは到底解し難い本件一連の事件に見られる明白で動かす余地のあり得ない際立つた特徴や、更には、証人Aの原審公判廷における供述によれば、被告人はKを被保険者とする右保険契約を締結するに当たつて、保険会社の担当者に対し保障最高額の三億円が支払われる場合の税務対策やそれに伴う経理処理に関する問題等についてまでも説明を求めていることが認められ、かかる被告人の不可解な言動等をも含めた以上のごとき本件大型保障保険契約に関わる不自然不合理で不可解と言うほかない相互に密接に関連し合う一連の諸事情を総合して考察すれば、所論に沿う被告人の供述とMの供述が措信し得ないことが明白であるばかりか、むしろ、Nの原審供述にいうNと被告人との間における本件一連の事件についての共謀の存在を容易に窺わせるものであり、更には、被告人がこのような不合理というほかない弁解・供述に終始していること自体が、被告人が本件一連の事件に関与していることを証する動かし難い状況証拠であるとさえいうことができNの原審供述中の被告人との共謀に関する供述部分の信用性を裏付けるに足りるものと言わなければならない。

3 「すし健」における打合わせについて

所論は、原判決が認定説示するような原判示「すし健」における昭和五二年一月一〇日午後一一時過ぎころのNとのアリバイ工作等の打合わせをしたことは勿論のこと被告人がその日に「すし健」でNと会つたこともないというのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、被告人は、原審においては、所論に符合する「その日はOの葬儀に出席していたのでNと会う時間もなかつた。」旨の供述をしているが、他方、当審においてはこれとは異なり、右日時に「すし健」でNとあつたこと自体はこれを認める趣旨というほかない供述をするに至つており、既に被告人の供述それ自体に首尾一貫しないものがあるといわざるを得ないが、加えて、Nの原審供述中には、Nは「所論指摘の日に浜松中央警察署においてO殺害事件に関連して参考人として調べを受けたが、後日被告人も調べを受けるものと予想して、打ち合わせる必要があると考え、午後一一時ころ『すし健』で被告人に会うため電話を架けていたら、被告人がM、Dと連れ立つて入つてきたので、カウンターの前に座つて隣に座つた被告人に『Oが帰つて来る前に二人が出たということと、警察には日建土木との貸借の細かい数字は言つていないが、二〇〇〇万弱だという話にしてある』と伝えた」旨の供述記載部分があるところ、右「すし健」の経営者であるWの司法警察員に対する昭和五二年九月二二日付供述調書中には、Nの述べるところに沿う状況の許でNと被告人がカウンターに横に並んで席を取り飲食した旨の供述記載があり、これによつてNの原審供述部分のうち、所論指摘の日時にNと被告人が右「すし健」で会つたとの点は裏付けられているのみならず、被告人の司法警官員に対する昭和五二年一月一一日付供述調書中には、「Nから……日建土木株式会社になつてから何回かに分けて二〇〇〇万円くらいの融資を受けた。」とのNの右供述部分にいう、Nの日建土木に対する融資金額について被告人との間で打ち合わせた金額と一致する供述記載があり、Nの供述の重要かつ特徴的な部分が被告人自身によつても裏付けられているのであるから、Nの原審供述中の前示部分はNが被告人と昭和五二年一月一〇日の午後一一時ころに「すし健」で会つたとする点は勿論のこと、その際に被告人とNが一種のアリバイ工作というべき打合せをしたとの点をも含めて、十分に信用できるものというべきであり、これに抵触する被告人の供述は信用し得ないものというほかはない。

しかして、右のとおり、Nの原審供述等によれば、被告人とNが被告人が捜査機関の調べを受けることを予期してこれに備えるべくアリバイ工作等の打合せをしたことが認められるところ、右事実はNと被告人との間におけるO殺害の共謀関係の存在を如実に物語るものであることが明らかであつて、これまた本件一連の事件につき被告人と共謀したことを認めるNの原審供述の信用性を首肯せしめ、被告人が本件一連の事件に関与したことを証する有力な証左の一つであるものということができる。

4 被告人のその他の弁解に関する所論について

以上において検討を加えたところのほかにも、所論は、被告人の多岐にわたる弁解を採りあげているが、その主要な点に対する判断は、次のとおりである。

(1) K殺害予備事件関係

被告人は、原判示第一の二の1の日時にN・K・Gらと長良川に魚取りに行つた際にGにKを水中に引きずり込めと言つたことはなく、また、Nから言われて原判示第一の二の3の恵那峡への一泊旅行にKを連れて行こうしたことがあるが、その際にKに対し「どこにも行くな。」と言つたり、Iに「Kが逃げないように見張つていろ。」との趣旨のことを言つたことはなく、ただ単にIに日建土木を空けるからその間会社の方をよろしく頼むとの趣旨で、「よく見とれよ。」といつたにすぎない旨弁解する。

被告人の右弁解のうち第一回目のK殺害予備の際のGに対する言動の点についてみるに、前提となるGの水泳能力に対する被告人自身の認識につき供述するところをみても、あるいは「Kが泳げないことは一切知らなかつた。」旨述べる一方で「長良川へ行つてからKに『泳げばいい』といつたらKが『泳げんでいかん』と答えたので、Kが泳げないことを初めて知つた。」旨述べ、あるいは「Kが泳げないのを知つたのは長良川へ行く前か行つてから知つたのか覚えていない。」とも述べるなど前後一貫しない供述をしており、この点に徴しても被告人の右の弁解にはたやすく措信し得ないものがあるといわざるを得ないが、更に、前叙のとおり、Nの原審供述と相反する部分についてもその信用性を肯認し得るGの原審供述等と対比して検討しても、捜査の段階から原審を経て当審に至るまでほぼ一貫しているGの「泳いで遊んでいた時、近づいてきた被告人から川の中で『今から北を引きずり込んで沈めるか』といわれた。」旨の供述部分に疑念を差し挾むべき事情はなんら見出し得ないし、Gの右供述部分はKの原審供述とも前後の状況を含めて良く符合していて十分に信用することができるから、これに抵触する被告人の右弁解は信用できないものといわざるを得ない。

次に、被告人のKに対する第三回目の殺害予備行為とされる恵那峡行きの際の言動に関する弁解についてみるに、被告人が当日の朝に日建土木でKに「Nが恵那峡へ連れて行つてやるといつているから支度をするように。」と言つたところKがこれを嫌がつたことおよびその際にIに対し「よく見とれよ。」と言つたこと自体は被告人も自認して争わないところ、被告人の供述するところによれば、右の恵那峡行きは子供連れで一泊するつもりでいたというのであつて、前叙のとおり、Kは名目上の日建土木の代表者でありその事務所裏の建物で起居していた者であるとはいえ被告人の家族らとの交際があつたわけでもなく、しかも、Kの風体等は被告人自体の言うところに従えば「人前に出せる人ではない」というのであるから、嫌がるものを押してまでもなお敢えて子供連れの行楽行に同行せしめるには、それ相当の事情があつて然るべきであるものと考えざるを得ないが、被告人の述べるところを仔細にみても、被告人は、Nが「一緒に乗せてきてやつてくれ。」と言つたというにとどまり、それ以上に説明するところはなく、また被告人においても、NにKを同行する理由等を質した形跡等も全くこれを見出すことができず、先ずこの点において、被告人の弁解するところはいかにも不自然であつて多大の疑念を差し挾むべき余地があるものといわざるを得ない。

のみならず、Kの原審供述等関係各証拠によれば、自己を被保険者とする大型保障保険の保険証書をたまたま見たこと等から、いわゆる保険金殺人の対象とされるのではないかとの危惧の念をかねて抱いていたKは、被告人から「どこへも行くな。」と言われたことから直ちに生命の危険を察知して、被告人が着替えのために帰宅した隙にタバコを買つてくるとして日建土木を抜け出し、以後被告人らの前から姿を消し所在不明となつたことが明らかであつて、かかる状況をも併せ考えると、被告人がIに対し不在中の会社の業務関係のことを依頼したものである旨弁疎するところは、被告人の前示の指示がなされた際の具体的状況にはいかにもそぐわず不自然にすぎ、到底信用するを得ないものというほかはない。

また、関係各証拠によると、右のとおり、Kが被告人らの前から姿を消し所在不明となつた後の昭和五一年九月ころに、被告人は前後三回にわたつてNと共にあるいは単独で岐阜市内へKを探しに行つたことが認められるが、この点につき、被告人は、捜査段階において「Nさんが私に『俺のところの向えの個人タクシーの人が岐阜市内でリヤカーを引つ張つて廃品回収しているKを見たといつているので、俺も嫌らしいで一ぺん探して来かや。』といつたことでKのことが分かり、岐阜のことはよく分からないので、私のセドリックでNさんと二人で夜と昼の二回、そのほかNさんに言われて私一人で一回の合計三回いずれも岐阜の駅前付近を主に探した」旨供述するにとどまり(被告人の司法警察員に対する昭和五二年一〇月二八日付供述調書)、それ以上にKを三回も岐阜市内まで探しに行つた理由を説明しないが、前叙のとおりの日建土木におけるKの実質的な地位やKが被告人らの前から姿を消すに至つた経緯・事情等に徴し、更には同月一〇日前ころに岐阜市内でKと出会つたQから、Nに対し、Kは自己に対する殺人計画を知つている旨伝えられ、その結果NはK殺害を断念したが、その後にあつては、被告人においてもKの捜索を打ち切り、警察署にKの捜索願いを提出する等その所在を探そうと努めた形跡が全く窺い得ないこと等をも併せ考えると、被告人が前後三回にわたつてNと共にあるいは単独でKを岐阜市内まで探しに行つた理由として述べるところは、いかにも不自然に過ぎ、たやすく措信できないものというほかなく、却つて、Kが被告人らの前から姿を消すに至つた以降の右のごとき一連の経緯・事情等に徴すると、「Kを探しに行つた目的は、HにKを殺害させるためである。」とするNの原審供述には十分信用に価するものがあるとともに、右のごとき所在不明となつたKを前後三回にわたり自ら岐阜市内まで赴いてKの所在を探し求めたという被告人自身の否定し難い行動それ自体によつても、Nの原審供述中の被告人との共謀に関する供述部分の信用性は、担保されているものということができる。

(2) I殺害未遂事件関係

被告人は、前叙のとおり、二度にわたつてHらがI殺害を実行しようと試みたいずれの際にも被告人がIと深夜まで飲酒していた点につき、意図してIとの飲酒の機会をもつたものではない旨弁解するが、被告人の述べるところに従つても、被告人がIを伴つて原判示「柳生」で飲食したことは前示の昭和五一年九月一七日と同月二〇日の二度のみであるというのであり、また、その言うところの「とんちやん会」なるものも毎月二〇日に定例的にもたれていたこと等この日にもたれるべき必然性があつたことを首肯せしめるに足りるような事情のあつたことはいささかもこれを窺うことができず(その頻度についても、被告人の供述は、「いつもよくやつていた」と述べたのを「昭和五一年中に2.3回行なつた」と改め、更には「協栄興業時代から月に一度はやつていた」とするなど変転し帰一するところがない。)、しかも、Hらが二度にわたりI殺害を企図したのと、被告人がIを誘つて深夜まで飲酒した機会とが、ともに全くの偶然により重なつたものとは到底考え難く、被告人の弁解するところは、これまた余りにも不自然であつて信用に価しないものと断ずるほかはない。

(3) O殺害事件関係

被告人は、昭和五二年一月九日の朝に新聞でOが死亡したのを知つて日建土木の帳簿ないし振替伝票を調べて初めてOが身体検査を通り保険料も支払われOを被保険者とする大型保障保険が発効していたことを知つた旨弁解する。

しかしながら、関係各証拠、とくに原審第一二回および第一四回並びに第四二回公判期日におけるUの供述と総勘定元帳等によると、Oを被保険者とする本件大型保障保険の保険料支払額通知書は、昭和五一年一二月初旬ころには日建土木に郵送されてきていること、当時日建土木の経理事務を担当していたUは支払日がくれば必ず被告人に支払先と支払額とをメモにするなどして報告していたこと、被告人は同月二〇日の支払に窮して受取手形を割り引くなどして金策し、同日の八一万円余の支払に充てているが、その内の四七万円余が右Oを被保険者とする大型保障保険を含む保険料であつたこと等の事実が認められ、これらの事実に徴すると、被告人はOを被保険者とする大型保障保険の第一回の保険料が同日に払い込まれ、従つて右保険契約が発効したことはこれを知悉していたものと優に推認することができるから、右認定に反する被告人の弁解は到底信用することができない。

(4) 朝鮮キャバレーにおける殴打事件について

Nが、原審公判廷において、「被告人は、昭和五一年八月ころ朝鮮キャバレーにおいて、Mが被告人に立腹して『お客さんづらするな。保険解約だ。絶交だ。』と叫びながら、ジョッキで被告人の頭部をいきなり殴りつけたため、血が顔に流れた。向えにすわつていた被告人は、一瞬ぽかんとしたが、私の目をみて困つたなあという目をしたもんで、私も『えらいことを言うな。』と被告人と目と目で確認し合つたというのか、意思が通じているから、一瞬あ然とした。被告人は、Mに何も反論せず黙つたままであつた…。翌日、被告人から電話で『夕べえらいことをしちやつた。私からMさんに謝らないかんで、どこかでメシ食えるようにMさんに電話してくれんか。』と言われたので、その旨Mに連絡しておいた。」旨供述するところに関連して、被告人は、Mの殴打等に対して反撃的態度に出なかつたのは、「飲酒の上のことでもあるし、Mには、種種世話になつた恩義を感じていたからである。」旨弁解する。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、Nの供述するところと被告人の供述とは、Mの被告人に対する言動の具体的内容や被告人がMから暴行を受けた場所等について、食い違いがみられ一致しない点があるものの、昭和五一年八月ころに、被告人がNやMらとともに飲酒に赴いた際、被告人がMから頭部などを殴打されて出血したこと、その際にMから「保険解約」という言葉が出たこと、これに対し、被告人はMに対し反撃的態度に出なかつたこと等は、被告人自身も認めているところであるが、Mの口から出たという右の「保険解約」なる言葉は、Mがいかに被告人に対し立腹するところがあり、また、それが酒席でのことであつたにしても、通常ならば、保険代理店を営むMがともあれ高額の保険料を支払つている顧客の立場にある被告人に対し、軽微とも言い難い暴行をふるつた上で浴びせかけることができるような性質の言葉とは考えられないところであるのみならず、被告人としても、その供述するように、Mに「恩義」ないし「義理」があるがために、Mの勧めに従つて本件各大型保障保険契約を締結したにすぎないものであつたとするならば、当時被保険者であつたKとIは、前叙のとおり、いずれも経営内容の悪い日建土木が高額の保険料を支払つて保険契約を強いて継続すべき価値ないし必要性のある人物ではなかつたのであるから、Mから右のような軽度とは言い難い暴行を受け、暴言を浴びせられながらも、あえて右両名を被保険者とする本件各大型保障保険契約を維持すべき合理的必然性はなかつたものというほかないが、それにもかかわらず、被告人はMの暴行・暴言を堪え忍び、なおもKとIを被保険者とする本件各大型保障保険契約を維持しようとする態度に出ているのは、いかにも不自然であるといわざるを得ず、被告人の右弁解は、既に検討を加えた被告人の他の弁解と同様、たやすく措信し難いものというほかないばかりか、却つて、右のごときMの言動に対する被告人の対応それ自体もまた、被告人がKとIを被保険者とする本件各大型保障保険契約の維持に並々ならぬ執着を抱いていたことを如実に示し、被告人がKとIを被保険者とする本件大型保障保険契約を締結したのは、その供述し弁解するがごときMに対する単なる「義理」や「恩義」のためでなかつたことを示唆するに十分であり、結局のところ、Nの前記供述の信用性を首肯せしめ、ひいてはNの原審供述中の被告人との共謀に関する部分の信用性をも担保するに足りる証左の一つであるものということができる。

(二)  以上において検討したところを総合して考察するに、所論に沿う本件一連の事件の背景となる日建土木の経営状態や大型保障保険加入の経緯・事情あるいは事件発生後におけるNとの打合せの有無等に関する被告人の供述や、その他被告人の弁解するところは、不自然かつ不合理な点が余りにも多く、関係各証拠と対比して到底措信し得ないものというほかはなく、更に本件は、K・I・Oの三名を被保険者とする大型保障保険契約が発効したのと接着して僅か半年余の短期間の間に相連続して右三名の被保険者を対象とする殺人事件等が惹起したという前叙のごとき顕著な特徴を示すが、その大型保障保険契約はいずれも現に被告人が遂行者となつて締結されているばかりか、日建土木の実質的な経営者であつた被告人の関与なくしては日建土木に支払われる保険金をNが入手し得る確実な方法すらもなく、被告人の関与なくしては本件一連の事件が成り立ち得ないことになるものと考えざるを得ないこと等をも併せ考えると、被告人がかかる不自然かつ不合理極まりない供述ないし弁解に終始していること自体が、却つて本件一連の事件の真実が奈辺にあるかにつき、看過し難い重要な示唆を与えるものであるとさえいうことができる。

加えて、前叙のとおりの昭和五一年四月当時の時点における日建土木の経営状態やその先行きに対する見通しの実情等もまたNの原審供述の主要な点を裏付けるに十分であること、更に、日建土木の経営状態が劣悪化の一途をたどる一方であつたにもかかわらず、Nが日建土木に多額の融資を与え続けた事実それ自体や、被告人に恵那峡行きを誘われた際に「どこへも行くな。」といわれたことから直ちに生命の危険を察知して被告人らの前から姿を消し、所在不明となつたKを、Nとともにあるいは単独で前後三回にわたり捜索しながら、NがQから「Kは自己に対する殺人計画を知つている。」旨伝えられてその殺害を断念するや、被告人においてもKの捜索を打ち切り、以後はその所在を探そうとした形跡すらも全く窺い得ないこと、HらがNと謀つて二度にわたりIの殺害を企図し、現に殺害を試みようとした際には、いずれの場合にも、被告人はIと深夜まで飲酒する機会をもち、その結果深夜に自動車を運転して帰宅の途についたIは、一度は難を免れたものの、二度目には現に危難に遭遇していること、あるいは、O殺害事件に関連して、Nが警察署で事情聴取を受け、続いて被告人自身の事情聴取が予想された昭和五二年一月一〇日の夜に「すし健」で、被告人はNとアリバイ工作等の打ち合わせをしていること等、既に指摘した本件一連の事件に見られる証拠上明白な特異ともいうべき諸事情も、Nが述べる被告人との間における本件一連の事件についての共謀の存在を前提として初めてその前後に一貫した脈絡のあることを良く理解することができ、右共謀の存在なくしては右の諸事情相互間の関係すらも合理的な理解が不可能であること、その他異常というほかない本件大型保障保険を巡る前叙のとおりの諸点をも総合して考察すると、Nの原審供述は、所論がるる指摘する点を十分に斟酌し、被告人の供述するところと対比しつつ仔細に検討しても、Nの原審供述中被告人との共謀の点を含むその主要で根幹的な供述部分の真実性は、本件一連の事件を通じて見られる特徴的というほかない一連の諸事情によつても担保されており、Nの原審供述は、原判決がその信用性を肯認して、Nと被告人との共謀の点をも含む原判示第一ないし第三の各事実の認定の用に供した限度においては、その信用性を十分に認めることができるものというべきである。

三保険金分配約定の不存在等をいう点について

所論は、要するに、本件にあつてはNと被告人以外に多数の共犯者が存在するものの、被告人はN以外の共犯者とはなんらの接触もなく、Nのみが他の共犯者と接触をもつていたというのであるが、被告人はNから資金の援助を得ていたものであつてNを陰で操るべき立場にはなかつたのであるから、かかる被告人が他の共犯者と直接の接触がなかつたということは原判決が認定判示するような本件各謀議がなかつたことを意味するというほかなく、またNと被告人を除く他の共犯者との間では騙取した保険金の取り分が明確に予定されているのに、Nと被告人との間ではその分配について具体的な約定がないが、これはNが被告人の介助を必要とせず、従つて被告人と相謀ることなく本件各犯行を企てたことを如実に物語るものである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、NとGの両名を除き被告人が他の本件共犯者らと直接の接触をもたなかつたことは所論指摘のとおりであるが、各被害者らの殺害行為分担等をした他の共犯者らはいずれも暴力団の構成員であつたことを考慮すると、自ら暴力団組織に身を置き立場上これらのものと折衝することが容易であつたNのみがこれら他の共犯者と接触し、被告人は他の共犯者との折衝等をNに委ね、自らはGを除く他の共犯者との接触をもたなかつたのは極めて自然であつて、なんら異とするに足りず、また、保険金の分配約定の点はNの原審供述によつても、「被告人に俺にはいくらくれるんだといつたら被告人は『あんたにはちやんとするでええがね』といつた」旨の供述部分があるにとどまり、明確な約定が取り交されたことを認めるに足りないことは所論指摘のとおりであるが、Nと被告人との当時の密接な間柄を考慮すれば、保険金の分配約定がNの右原審供述に現われた程度にとどまつたとしても、格別不自然・不合理であるとは言い難く、従つて所論指摘の点は、前叙のとおり、Nと被告人との共謀関係の存在を直接的に証するNの原審供述のみならず、その信用性を担保するに足りる多くの状況証拠の存在する本件にあつては、これらの各証拠の指し示すところに疑念を生じせしめ、本件一連の事件についての被告人とNとの間の共謀関係の存在につき、合理的な疑いを差し挾むべき余地を生じせしめるに足りるものではないというべきである。

四結論

前記一ないし三項において詳細に検討を加えたとおり、一部にたやすく信用できない供述部分が含まれるものの、明らかで動かし難い客観的状況証拠との整合性や他の関係証拠との対応関係等を仔細に検討しつつ慎重に判断しても、原判決が信用性を肯認した限度においてはいずれも十分にその信用性を認めることができるNの原審供述をはじめ、GおよびKの各原審供述等原判決の挙示する原判示第一ないし第三の各事実に対応する関係各証拠を総合すると、所論指摘のNと被告人との共謀の点を含め、原判示第一ないし第三の各事実はいずれもこれを優に認定することができ、右認定に抵触する被告人の供述は到底信用し難く、更に本件全証拠を精査しても、他に右認定を左右するに足りる証拠はなんらこれを見出すことができないから、原判決の事実の認定は正当であつて、原判決には所論のような事実の誤認は認められない。論旨は理由がない。

第二控訴趣意書第一段の二(原判示第四の各事実に関する量刑不当の論旨)について

所論は、原判示第一ないし第三の各事実について被告人を有罪とした原判決に事実の誤認があり被告人が無罪であることを前提として、原判示第四の各事実については刑の執行を猶予すべきである旨主張するが、所論にもかかわらず原判決には所論のような事実の誤認はなく原判決が正当であることは前叙したとおりであるから、所論は前提を欠き失当であることが明らかである。この論旨もまた理由がない。

(なお、記録を調査すると、原審はその第三一回公判期日に担当裁判官に変更があつたのに公判手続の更新をしなかつたことが明らかであるが、原審はその後更に担当裁判官に変更のあつた第三二回公判期日において公判手続の更新を適法に履践しているから、原審における右訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとは認められない。)

よつて、本件控訴は、その理由がないから、刑事訴訟法三九六条に則り、これを棄却し、なお、当審における訴訟費用については、同法一八一条一項但書を適用して、これを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鈴木雄八郎 裁判官川原誠 裁判官向井千杉)

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